書痙で悩む日々の記録

「書く事ができない」ただそれだけだけど。それが自分にとってとても大きな障害になってるんです。その病気に気づく前から今までの苦悩、そして、これからの経過を記録として残していこうと思いこのブログを開設いたしました。

H治療院との出会い

持病で腰痛を持っていたわたしは鍼灸医院に行くことにしていました。

先生とのふとした会話で。

書痙ってどおなんですか??

字書けないやつですけど。

針でよくなるんすか??

できるよ。治した人いるしね。

その人社長さんでさ、書類にサインできなくてなげいていたけど治ったんだよね。

もしかして君がなったのか?

僕が治すよ。

と話してくれました。

となると、藁にもすがる思いのわたしとしては、即施術の依頼。

そこから3回通いました。なぜ3回かって。回数券が3回分だったからです。

1回目、全身チェックされました。

背中をみたとたん。

異常だわ。

過緊張すぎ。

これだね。

これをほぐそう、と。

背中を中心にお灸と針をして緊張をほぐしていきます。

その後は右手です。右手にも針とお灸。


結果です。

少し書きやすくなりました。

書きやすくなったというか余計な力が入らなくなった。

はっきりいって嬉しかった。

光がみえた瞬間だった。


毎日の右手へのお灸をすすめられ、いまでは継続して家での癒やし時間をとっています。


が、ですよ。施術したあとはたしかに少しよかった。

でも時間おくとやはり元にもどってました。

ホントに嫌な右手です。

これさえなければ僕はもっと華麗に仕事ができるのに。

2年前

一向によくならない僕の字。

ペンを持つとなんかモードに入ってしまい過緊張をおこすんです。

ペンを握ると強く握りしめてしまう。それは震えを抑えるために強く握ってしまうのです。

逆に少しでも緩く持つとポロンと手からペンがおちていってしまう。

字を書こうとするとミミズに。変なところで力ぬけてはねてしまうし。ガクガクしてします。

同じテーブル使っていた人からは地震扱いされました。

それくらいやばい。

カミングアウトしているとはいえ全く変わらない。

書く事が大嫌いで仕事で書く事を地道に少なくしていきました。

字を書くことから避けてたんですね。

パソコンの打ち込みはできますから。

できないのは書く事。

3年前

心療内科に通ってもカウンセリング受けてもよくなるわけないんですよね。

確かに気持ちは少しよくなったかもしれません。

僕の話しを聞いてくれるから。

でもそれが字が書ける様にリラックスできてるかといったらそうでもない。


書痙とわかったところで、僕は一大決心をしOの長にカミングアウトしたわけです。

自分が書けないんじゃ使い物になんないから首だとかいわれるのかなとドキドキしていた面があったのです、が。結果、長は泣いて受け入れてくれました。

字が書けないだけだろ、全く問題ない。仕事できるんだから。辛かっただろ。話したくても話せなかったんだもんな。打ち明けてくれてありがとうと言ってくれました。

本当救われました。

こんな人が長でよかったと思いました。

これを、きっかけにメンバーを決めて少しずつカミングアウトをし続けました。

皆、どこまで理解したかわからないけど受け入れてくれました。

壁がなくなっていった瞬間でした。

が、字が書けないのは変わりませんでした。

4年前

この年に字に関して大きな事が起こります。

それはいきなりおとずれました。

あのKで一緒にリーダー組んでた2名が新規開設のOに異動してきたのです。

Kでの悪夢が蘇った瞬間でした。

そのときから僕の字が変わってしまいました。

人前で書けなくなってしまったのです。

テーブルに上げて書けない。

人にみられないようにして書く。

それでもミミズの様な字になってしまう。

その時は震えでした。

その震えを抑えようと左手でも押さえて両手で字を書いてました。

それでも字はみみず。

どーしよーもなくなりました。

1番信頼できる医師を訪ねました。

そしたら共に悩んでくれてある心療内科を紹介してくれました。

おそらく過度なストレスや不安からくる書痙だろうから話しをしてきたらいいと思うと。

でひとつずつ原因を潰していこうと。

で、心療内科の門をたたいたわけです。

自分の中では、あーこれでやっとこの字から卒業できる。原因がわかるんだ、と思いました。

初診時色々問診ありました。カウンセリングもありました。

その時でたのは、自律神経失調症だということ。

その影響で書痙がでているのではないかと。

とりあえずカウンセリング続けながら様子みていきましょうといわれました。

内服に関しては僕が断固拒否していましたのでしませんでした。

ただひとつ、自分の症状が書痙だとわかったこと心が病んでることがわかったという点では僕は嬉しくなりました。が、逆に終わりのない沼に足を入れてしまったのだなとも。

5年前

この年はぼくにとって転機でした。
新規開設に抜擢されました。
あ、その前にOでの送別会がありました。
僕への贈り物は、なんと、ペン習字の本でした。
がっかりしたし、むかつきもしました。
病気とは気づいていない僕でしたから。

で、新規開設の研修、会議室で手帳広げて字書いてました。テーブルの上でね。両脇からみられても大丈夫。きたないけど。
開設しました。
申し送りなどもテーブルで書いてました。きたないけど。
字以外で仕事は本当に順調でした。
これ以上ない理想なホーム作りができてました。
ここまでは。

5年前

何事もない5年前。

本当可もなく不可もなく。

無難に過ごしてました。

余裕があるといつも以上に仕事がうまくいくものです。

色んな土台作りや改革もしてきました。

ただ、字だけは変わりませんでした。

6年前

Oというところへ異動になった僕にはミッションがありました。

ポジティブ&Do。コミュニケーション。

常に前向きに行動あるのみ。

これをやりながら肩肘張らずにリフレッシュしながら仕事をしていく。

これが、自然とできていたんです。

僕にとっては3回目の異動です。

異動も慣れたものです。

ただひとつ挙げるとすれば、役職がリーダーから一般に降格したところ。

男なので変なプライドがあったりなかったりして面倒でした。

が、良好にコミュニケーションもとれポジティブ&Doできてましたからね。

でもですよ、環境変われば字が治るかなとも思ったけど治らなかった。

この頃はまだ自分では病気と思ってなかったですからね。

字が下手なだけ、筆圧が強いだけ、努力すれば上手くなると思ってました。