書痙で悩む日々の記録

「書く事ができない」ただそれだけだけど。それが自分にとってとても大きな障害になってるんです。その病気に気づく前から今までの苦悩、そして、これからの経過を記録として残していこうと思いこのブログを開設いたしました。

4年前

この年に字に関して大きな事が起こります。

それはいきなりおとずれました。

あのKで一緒にリーダー組んでた2名が新規開設のOに異動してきたのです。

Kでの悪夢が蘇った瞬間でした。

そのときから僕の字が変わってしまいました。

人前で書けなくなってしまったのです。

テーブルに上げて書けない。

人にみられないようにして書く。

それでもミミズの様な字になってしまう。

その時は震えでした。

その震えを抑えようと左手でも押さえて両手で字を書いてました。

それでも字はみみず。

どーしよーもなくなりました。

1番信頼できる医師を訪ねました。

そしたら共に悩んでくれてある心療内科を紹介してくれました。

おそらく過度なストレスや不安からくる書痙だろうから話しをしてきたらいいと思うと。

でひとつずつ原因を潰していこうと。

で、心療内科の門をたたいたわけです。

自分の中では、あーこれでやっとこの字から卒業できる。原因がわかるんだ、と思いました。

初診時色々問診ありました。カウンセリングもありました。

その時でたのは、自律神経失調症だということ。

その影響で書痙がでているのではないかと。

とりあえずカウンセリング続けながら様子みていきましょうといわれました。

内服に関しては僕が断固拒否していましたのでしませんでした。

ただひとつ、自分の症状が書痙だとわかったこと心が病んでることがわかったという点では僕は嬉しくなりました。が、逆に終わりのない沼に足を入れてしまったのだなとも。

5年前

この年はぼくにとって転機でした。
新規開設に抜擢されました。
あ、その前にOでの送別会がありました。
僕への贈り物は、なんと、ペン習字の本でした。
がっかりしたし、むかつきもしました。
病気とは気づいていない僕でしたから。

で、新規開設の研修、会議室で手帳広げて字書いてました。テーブルの上でね。両脇からみられても大丈夫。きたないけど。
開設しました。
申し送りなどもテーブルで書いてました。きたないけど。
字以外で仕事は本当に順調でした。
これ以上ない理想なホーム作りができてました。
ここまでは。

6年前

Oというところへ異動になった僕にはミッションがありました。

ポジティブ&Do。コミュニケーション。

常に前向きに行動あるのみ。

これをやりながら肩肘張らずにリフレッシュしながら仕事をしていく。

これが、自然とできていたんです。

僕にとっては3回目の異動です。

異動も慣れたものです。

ただひとつ挙げるとすれば、役職がリーダーから一般に降格したところ。

男なので変なプライドがあったりなかったりして面倒でした。

が、良好にコミュニケーションもとれポジティブ&Doできてましたからね。

でもですよ、環境変われば字が治るかなとも思ったけど治らなかった。

この頃はまだ自分では病気と思ってなかったですからね。

字が下手なだけ、筆圧が強いだけ、努力すれば上手くなると思ってました。

7年前

この歳、僕はリーダーに昇進。

やってやるぞ、とやりまくります。

会議もほぼ全て出て自分がなんでも知ってる感を出していました。

その弊害が事務所で起きたのもこの頃です。

隣りのデスクに座っているのがS。

隣りに僕がいるのにも関わらず会話は全てパソコンメール。

で、ダメ出しの嵐。

出勤しているときは機嫌悪くその当たるターゲットが僕でした。

ほんと、最低でした。

何をやってもダメ。

僕の行動を隅から隅までチェック。

僕が聞いていない話題に関しても会議でどんどんアップしていって僕を全否定してくる。

もちろんそのSはボスなもので取り巻きは僕以外。

ちなみに3人リーダーいたのですが、僕以外の2リーダーからもSさん並みのダメ出しの嵐。

アウトレイジじゃないですが、自分以外みんな敵。

そんな状態になってくると字が震えてくるようになってきたのです。

精神的に追い込まれた証拠ですかね。

書こうと思ってもうまく書けない。

その事を上司に話したら来年の目標だなペン習字でもやってうまくなれよ。と言われました。

そっかペン習字か、とこのときの僕はまだ思えました。

この職場に、通勤してくるときに毎朝考える事があったんです。

どーやってSさんと話そう。Sさんの機嫌とろう。

Sさん大丈夫かな。と本来考えるべき入居者の事のでなくSの機嫌の事ばかり考えるようになってました。

しまいには、あー行きたくない。

あんなに仕事に行きたくなくなったことはありません。

で夏です。

仕事辞めようと思いました。

結果仲間に助けられました。

違う施設への異動です。

そこでリフレッシュしろと。

ここではあげられませんが本当仲間には感謝してます。

8年前

8年前の事を書きます。

僕にとってはターニングポイントになった会社内での異動。

やっと自分が認められたんだなと張り切ってKという駅にある施設へ通い始めたわけです。

本当やる気に満ち溢れていたわたしは言われた係や委員会は全部こなし掛け持ち当たり前状態でした。

仕事もできるようになり自分が1番だと思いこんでいた時期でした。

が、それは大きな間違いであって、振り返ったら誰もいないという現状がありました。

自分だけが突っ走って暴走していたんですね。

これでは誰もついてきません。

やる気はあった。

けど周りを見ず、コミュニケーションをとらなかった。結果がこれでした。

そう、この頃のぼくにはコミュニケーション能力が欠けていたのです。

それがあり僕はこのKで2年間、いままでに味わった事のない人生泥沼経験をするのであります。

この頃の字は、他人から言わすと、下手、雑といわれていました。

ま、下手だからしょうがないじゃん、と。

9年前

9年前のわたくしの勤務先は都内M駅にある有料老人ホーム。

この時もわたくしの体調は全く問題ありませんでした。

モチベーションも高く何も怖がらずに率先して動いていました。

そしてパートナーとなる妻と結婚したのもこの時期でした。

婚姻届を書くのも全く問題なし。

書く事が苦手とも考えた事ありませんでした。